法律を杓子定規に当てはめてはいけない。
血も涙もない解決になるから。
「判例はこうだろう」とか、「世間一般の弁護士はこうするだろう」という教科書通りの考え方は、私の思考回路にはありません。例えば「これはどう見ても破産処理しかないだろう」という事例も、視点を変えれば「会社更生として生き返られる手がある」と好転させる方法が見えてきたりします。
まず「ルールありき」では現実は好転しにくいのです。ただし発想の転換は、正確な知識があってこそうまくいきます。私はみんなが気付かなかった新手の解決方法を多数繰り出してきました。
バブル崩壊の時期に開業した超豪華ホテルの会社更生事件もその一つでした。債務は300億。裁判所に申し立てたところ、「会社更生では無理だ、破産ではないか」という意見が出ました。当時、更生管財人は事業を続けながら利益を出せるような計画を作って、その利益で10年15年かけて債権者に支払っていくのが会社更生であると言われていた時代です。
毎月の数千万円もの大赤字、高い固定資産税、月1200万かかる電気代、管理費、人件費…こんな事件の更生計画案は、誰もかけないと言われた中、申立代理人の腕力で、私なら引き受けるだろうとのことで保全処分を取ってしまいました。
しかし、利益を見込めない会社の更生計画は、解がない数学の問題を出されたようなもの。素晴らしいロケーションに素晴らしい建物、温泉、美術品、骨董品、東洋一のワインセラー…頭をひねった結果、従来の事業継続価値の算定と利益による弁済では、到底更生計画は出来ません。
そこで、それまでにない更生計画案を考え付きました。それが100%減資の上、新しいスポンサーに相当額の資金を出資金・貸付金として拠出してもらい、更生担保権、更生債権を一括弁済する方式でした。新スポンサー企業を見つけ、約30億円の貸付を受けて更生計画を策定。認可後、直ちに弁済してこの事件は終結しました。
私の繰り出す異例により、法律改正もなされた。
初めは私の更生計画に対して、「こんなやり方は初耳だ、違法ではないでしょうか?」と言っていた裁判所も、その後のゴルフ場の再建方式としての方式が定着するのを認めざるを得ませんでした。これ以外にも私が繰り出した倒産処理方式は一般的となり、法律の改正すらなされました。
弁護士生活も半世紀を超えますが、まず法律の条文ありきというよりは、「いかに被害を少なくし、誰もが納得するような知恵を出すか」、そちらの方が重要だと考えてたくさんの事件を担当してきました。法律を杓子定規に当てはめて機械的に処理しようとすれば、できないわけではないけれど、それでは血も涙もない解決になるからです。
1973年、私が八代弁護士、西垣弁護士と3人で立ち上げた北浜法律事務所も100名を超える弁護士を抱える大所帯になりました。実に人間味のある弁護士が揃っており、DNAが受け継がれていることを感じます。後輩弁護士が先輩の背中を見て交渉力と人間力を磨いてくれていることを嬉しく思います。
クライアントとともに。