温厚、一方で現実派。
限られた武器のなかでどう戦うか、戦略を練ることに時間を掛ける。
玄界灘に浮かぶ長崎県の離島、壱岐島出身です。壱岐島から高速船に乗れば1時間少々で福岡市内に到着するという立地もあり、幼い頃から福岡は身近で親しみのある場所でした。島の高校を卒業して約6年間京都で生活し、京都も今なお定期的に旅行に行くほど思い出深い土地になりましたが、就職では九州に戻ろうと考えていたので、司法試験を関西の会場で受験した10日後には九州に引っ越していましたね。
移動時間の面では福岡市から近いとはいえ、あくまで育ちは玄界灘を隔てた離島です。私が高校を卒業して島を出るまでは24時間営業のコンビニも、大学受験対策の塾も、電車もなかったのどかなところで自然に囲まれて育ちました。海釣り、昆虫採集、海水浴、キャンプに焚き火……。都会の人が「自然のなかで遊ぶ」ことを想像する時に、典型的に思い浮かぶ遊びは日常的にひと通り体験していたように思います。私自身、自分の性格は温厚だと思いますが、その理由はのんびりとした土地で育ったというバックグラウンドにあるのかもしれません。
ただし、仕事のやり方も温厚一辺倒かというと、そうではないと思います。良し悪しははっきりと言う方です。また、現実派といいましょうか、「このような事情や証拠があればいいのに」という理想的な武器や展開を追い求めるより、今ある限られた証拠でどう戦っていくか、どう説明をつけていくかという戦略を練る方に時間を掛けるタイプですね。
また、弁護士の商品ともいうべき文章に対するこだわりは強いです。解釈が複数成り立つ余地のある表現になってしまっていないか、過程を一部省略していないかなど、自分なりに持っている美学と照らし合わせて書面を何度も見返します。島の高校で、入学から卒業まで3年間ずっと担任を持ってくださった恩師がいるのですが、恩師の担当教科が国語で、高校総体後にほぼ毎日添削指導に付き合ってくださいました。その時に鍛えられた日本語力、国語力は弁護士となった今でも非常に役立っていると実感しており、恩師には感謝してもしきれません。
労働法務との出会い、
「世直し」に繋がると信じて走り続ける今
「何故、弁護士を目指そうと思ったのですか」という質問は、弁護士なら誰でも一度は聞かれたことがあると思いますが、私はひと言でいえば祖父の影響です。漁師の家系に生まれた祖父は、本当は勉強を続けて進学したかったそうですが、戦前で進学が当たり前ではなかった時代。尋常小学校を卒業すると、10代前半からすぐ船に乗り漁に出ていたそうです。祖父は漁船をタンカーに乗り換えて海運会社を設立し、代表者を父に譲った後は地元の町会議員に転身しましたが、このような一連の活動を通して弁護士と接する機会が多かったのでしょう。まだ小さかった私に、よく「自分は弁護士にはなれなかったが、一族から弁護士を出したかった」と述懐していました。祖父は9人の孫に恵まれていたところ、私が孫のなかでも最年少。私以外の孫は法曹とは異なる道を選んでいたので、さながら、一族から弁護士を出すという祖父の夢を叶えるラストチャンスという形でした。祖父の夢を引き継ぐ形で、私は法学部、そして法科大学院に進学します。そこで数々の法分野に出会いましたが、なかでも一番興味を惹かれた企業側労働法務が、今でも仕事の根幹になっています。
労働法は、もともと「労働者は会社に比べて弱者である」という発想に基づいて作成された法律です。そういった歴史的背景は、授業を聞いたり本を読んだりして確かに理解はできるのですが、一方で、我が国には労働者が法律の認める範囲を超えた過剰な要求を行っている場合もあるのではないか、と学生の頃から疑問を持っていました。「そうした過剰な要求に企業が屈するべきではなく、企業側の負担は法の認める合理的な範囲内に抑えられないといけない」と素朴に思い、今でも企業側労働法務に取り組む自分の信念として同じことを思っています。
たとえば、企業側の代理人として労働紛争に対応するとします。紛争が解決して「ああ、良かったね」「長かったね」で終わるのではなく、紛争に至ったからにはどこかにその原因があるはずなので、私から「ここを改善しましょう」としっかりアドバイスすること。それを大事にしています。企業が私のアドバイスを聞き入れてくださって労務管理上の取扱いが適切に是正されれば、企業のみならず従業員の皆様全員の利益にもなるわけですから、ちょっと気恥ずかしい言葉を使えば「世直し」に繋がっていると思える瞬間ですね。
また労働法務に限らず、M&A、会社法、IPO支援、倒産事件から訴訟紛争まで、企業が当事者となる案件は幅広く取り扱ってきています。北浜法律事務所が備える強みのひとつとして、案件に応じて柔軟にメンバーを集め、組成されるチーム力というものがありますが、自分がパートナーとしてチームのヘッドという立場で活動する場合でも、自ら手を動かし研鑽を怠らないプレイングマネージャーであり続けたいです。
根性論が流行らない時代ではありますが、しんどい時にもうひと踏ん張り、ふた踏ん張りする根性は、体育会系で生きてきた経験に裏付けられているのではないかと思います。小学生では剣道クラブと野球クラブ、中学生では剣道部と陸上・駅伝部を掛け持ちし、高校、大学まで剣道を続けました。中学と高校では剣道部の主将を務め、同級生や後輩をまとめること、動いてもらうことの大変さも身に染みて経験しているつもりです。クライアントの皆様から見れば北浜法律事務所のパートナーとして、また後輩弁護士から見れば「付いていきたい」と思ってもらえる先輩として、ただひたすらに信頼を積み重ねていく所存です。
クライアントとともに。