M&Aが私たちの社会を良くすると信じて。
大阪という土地柄、ほぼ全てのパートナーと仕事をする環境、そして、アソシエイトの主体性を重んじる北浜法律事務所の教育方針が相まって、私は、2010年に北浜法律事務所に入所して以来、雑多に幅広い案件を経験してきました。最初の数年は、多くの訴訟案件や倒産案件を通じて、紛争解決の何たるか、依頼者のために戦うことの何たるかを叩きこまれました。一般民事・家事・刑事といった案件も数多く手掛け、刑事事件では一部ですが無罪判決をもらったこともありました。個人的に熱心に取り組んだ少年事件を通じては、非行に及んだ少年が置かれた境遇、家族のあり方、教育の問題等の社会的課題について考え、悩み、そして己の無力感に打ちひしがれるといった経験も数多くしました。私の弁護士としてのキャリアの序盤は、いわゆるジェネラリスト志向で進みました。
弁護士になって4年程経ったころから、M&A案件に関与することが少しずつ増えていきました。きっかけは、いくつかのM&A意欲が旺盛な事業会社のお客さんの案件に立て続けにアサインされたことでした。M&Aと一口に言っても、当事者の属性や対象会社の置かれているシチュエーション、買収の目的や手法等によって様々なわけですが、当時私が目の当たりにしたのは、事業会社が、社長の強烈なリーダーシップの下、成長戦略としてM&Aを駆使する姿でした。
次々に舞い込んでくるM&A案件にがむしゃらに取り組んでいるうちに、企業買収は、一方的な弱肉強食の世界ではないということが分かってきました。そもそも、買収によって企業価値の総和が増加しないのであれば、高いお金を払って企業を買収する意味はありません。企業価値の源泉は会社によって異なり、人であったり、技術であったり、生産設備であったり、顧客基盤であったりします。これらが生み出す価値を棄損することなく、さらに買収によるシナジーを実現させるためには、買収対象企業の事業や文化を深く理解することが不可欠ですし、買収後の統合を効果的に行うことが非常に重要です。買収側からの一方的な押し付けや、買収者が奪い取るような発想ではうまくはいきません。奪うことよりも生かすこと、やめさせるよりもやめさせないことの方がずっと重要であることが多くあります。 良いM&Aでは、買収者側も、買収対象企業側も、企業価値の最大化のために本気で取り組み、熱い想いをぶつけ合います。交渉ステージでは特に、買収者側と買収対象企業側で意見が対立することも多々ありますが、時に激しく行われる交渉の先に、企業価値の向上という共通のゴールがあることがM&Aの醍醐味の一つだと思います。
記憶に残る案件に、ある金融機関の経営統合があります。当事者が多く、意見調整がとても難しい案件でしたが、カウンターパートの代理人とも頻繁にコミュニケーションを取りながら、何とかゴールにたどり着きました。 プロジェクトによっては、終盤になると朝も夜もなくなり、依頼者担当者も弁護士もどんどん疲弊していきます(この案件もそうでした。)。北浜法律事務所のブランド・アイデンティティは「クライアントとともに。」ですが、私はこの言葉を見るたびに、自分が依頼者担当者と一緒にボロボロになりながら走っている姿を思い浮かべます。
ここで話を少年事件に戻します。非行少年が少年院に行かずに社会内で更生の道を歩めるかどうかは、社会資源の有無にかかっています。しかし、私が関わった案件では、頼るところが見つからないことがほとんどでした。 貧困、虐待、教育等の社会的課題に対しては、政治や福祉が果たすべき役割も大きいですが、それだけではスピードもリソースも足りないことがほとんどです。私は、社会的課題の解決のためには、民間の果たす役割が非常に重要であると考えています。 企業の利益追求を目的とする株式会社が、社会的課題の解決に直接取り組むことは難しいことが多いでしょう。社会的課題に直接取り組む担い手が増えることももちろん重要です。しかし、もう少しマクロな視点で見ると、健全な企業活動が安定した雇用を創出し、家庭における経済的な安定が、社会的課題の解決につながるという関係が見えてきます。 企業を社会の公器と呼ぶかどうかは考え方次第かもしれません。しかし、企業が多くの人々の生活基盤を支えていることは疑いがありません。企業の成長は私たちの社会を良くする方向に働くはずであり(そうなっていないとしたら、公正な分配についてもう少し考えるべきなのでしょう。)、企業の成長ドライバーであるM&Aの社会的意義は決して小さくはないはずです。
企業価値の総和を増加させる「良い」買収が、私たちの社会を良くすると信じて、私はM&Aに取り組み続けます。
クライアントとともに。