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若手を育てつつ私自身も成長し続けたい。

自分の信念や価値観を大切にできる職業だと思い、弁護士になりました。1995年、北浜法律事務所に入った時、全員がとても自由かつ元気に仕事をしていると感じました。若手がのびのび発言していて、みんなが対等なイメージ。仕事や委員会活動など、一人ひとりがやりたい事をやっていて、みんながそれを応援するような雰囲気でした。

就職活動中、他の事務所の方から、「北浜さんはすごく伸びていてこわい」と言われたことをよく覚えています。今は大所帯になりましたけど、まだこじんまりしていた頃のスピリットを忘れずに持ち続ける事務所でありたいですね。

駆け出しの頃は、倒産事件のほか、債権回収や示談交渉を多く担当しました。中でも債権回収や示談交渉がしんどくてね。弁護士に持ち込まれるような案件はどれもハードで、精神的にきつい案件もたくさんありました。若い頃は抱え込んでしまうんですよ。僕も身体を壊して、「もうやっていけない」とまで悩んだ時期もありました。そんなとき、事務所のみんなが色々話を聞いてくれて、やっぱりうちの事務所はいいなぁと思いましたね。それで吹っ切れて、徐々に、気持ちに余裕を持って案件に対応できるようになっていきました。

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証券化案件との出会い。

仕事の一つのターニングポイントは2000年頃、いわゆる証券化案件に出会ったことです。地権者が多くて権利関係が複雑、規模も大きいショッピングモールの開発案件を担当しました。日本における証券化の黎明期で、東京を含め取り扱っている弁護士はそんなにいませんでした。

複雑なスキームを組成して膨大な量・種類の契約書をまとめ上げる、それによって倒産隔離をはかりつつ多額の開発資金を調達し、お金が回っていくようにする。こんな大きな仕事を実質一人でやりましたね。事務所でも誰も経験がありませんでしたから。文献もほとんど無くて大変でしたが、それまで苦労していた債権回収や倒産案件の経験も役に立ちました。ショッピングモールが無事開業したときには、さっそく行ってみて何とも言えない達成感を味わいました。よく建設会社の方が、「自分の作ったビルだ!」というでしょ、あんな感じですね。

以来、証券化を含めファイナンス案件を数多く手がけました。信託を手がけるようになったのもこの案件がきっかけです。今、ファイナンスや信託の分野は次世代の弁護士も引き継いでやってくれています。こうして後進を育て、業務範囲を広げていくのも私の仕事だと思っています。

事業再生案件で問われる人間力。
精進しつつ磨いていきたい。

これまで、様々な紛争・訴訟、会社法、不動産、知的財産権、ベンチャー支援、民暴対策など幅広く経験を重ねる一方、講演や執筆活動、大学講師なども積極的に引き受けてきました。

今は、事業再生やM&Aの案件が多いですね。中でも企業の再生にはやりがいを感じます。これまで、規模でいえば中小企業から大企業まで、業種でいえば、メーカー、商社、物流、デベロッパー、ビルメンテナンス、ゴルフ場、ショッピングセンター、病院、第3セクター等々、多種多様な企業の再建に携わりました。

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この仕事は、弁護士業務の単純な延長線上にはない分野だと思います。多様な法的知識や経験はもちろんのこと、ビジネスや経営の知識・感覚、リーダー的な素養や直感、突破力なども必要です。ちょっと語弊があるかもしれませんが、法律、法律と杓子定規にやっていては会社を潰してしまう…ということだってあります。また、会社の再建のためには、社長に交代を求めないといけない時もある。厳しさと優しさを持ち、「この人に言われたらしょうがないな」って思ってもらえる人間であること。これが「人間力」でなんでしょうね。

この分野の草分けが事務所の創設者である佐伯照道弁護士です。直観力、突破力、包容力、優しさ、愛嬌等々を併せた人間力をもち、周囲を魅了する弁護士なんですね。私も若手を育てながら、そういう人間力のある弁護士になりたいと願っています。まだまだですが…。

クライアントとともに。