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東京事務所の代表社員として、
次代を見据えた提案をしていきたい。

出身は京都です。私のうちは、祖父や親戚が弁護士で、2017年に亡くなった父は大学で民法の教授をしていました。実は母も、学生時代に司法試験の勉強をしていました。
当時は今と違って女性が法律の勉強するのはかなり珍しかった時代です。そんな家系ですから家の中で自然に法律に触れていたように思います。

4人きょうだいの次男なので雄二郎です。姉はカリブ海のとある国で不動産業を営み、兄は京都で福祉関係、弟は同じく京都でスペイン料理店をやっています。みんなやっていることがバラバラ。自由な家庭でのびのび育ちました。

北浜法律事務所は、私が入所した2000年当時は、弁護士と事務局を合わせても総勢30人ぐらいの小さな所帯で、事務局のパソコンも3台しかなかった頃。パソコンに、カツオやサザエといった名前をつけてみんなで使っていました。インターネットも常時接続ではなく、LANケーブルを繋いでピーヒョロロと音が鳴るような…非常に牧歌的な感じでした。

その後、私は約2年半、大阪で弁護士生活を送りましたが、その間はバブル崩壊の後始末のような倒産事件、貸金やリース債権の回収等の訴訟事件、交通事故等の示談交渉事件、離婚・遺産分割といった家事事件、刑事事件等、ひとことで言うと、泥臭い事件をたくさん取り扱いました。

今ではほとんど取り扱う機会はありませんが、私の弁護士としての基礎は、そういった泥臭い事件をその都度、悪戦苦闘しつつ処理した経験によって形作られていると思っています。

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弁護士3年目で任された大役。

2002年に弁護士法が改正され、法律事務所が支店事務所を持つことが可能となり、大阪の有力法律事務所が一斉に東京に支店事務所を開設する動きとなりました。

弊所では故・中島健仁先生が旗振り役となって、東京事務所の設立準備を進めました。中島先生は、国際倒産・国際取引を専門にされていて、東京でも十分な実績や知名度、抜群の人望や人脈をお持ちでした。今では知る人も少なくなりましたが、弊所の東京事務所は、その中島先生がとりわけ懇意にされていた、司法研修所同期の片山英二先生のご厚意により、阿部・井窪・片山法律事務所の一隅をお借りする形でスタートしたものです(正式開業は2003年1月1日)。

そのようにして設立された東京事務所の常駐者は、弁護士はまだ3年目の私一人だけで、あとは事務局が一名いるだけでした。本国から遠い未開地の開拓を担ったことになぞらえて、当時は自分をよく"屯田兵"と呼んでいましたが、実は同じ時期に東京に支店事務所を開設した大阪の法律事務所の同期の多くが、やはり東京に送り込まれており、同じ境遇の者同士、今でも大変仲良くしています。

東京事務所での仕事は、比較的規模の大きい事業再生や企業買収等が主なものとなり、まったくと言ってよいほど知識や経験のないものも少なくなかったのですが、依頼者を前に自分がやるしかない状況でしたので、依頼者のため、また、事務所の評判を落とすわけにはいかないと、とにかく必死に食らいつきました。

弁護士は、信頼される用心棒のような存在。

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この頃に数々の事業再生や企業買収等の案件に携わることができたのは、自分にとって大変幸運なことであったと思っています。ところが大変残念なことに、中島先生は、2007年に52歳の若さで亡くなってしまいます。将来を嘱望されていた中島先生の逝去の衝撃は大きく、まさに痛恨の極みでした。

東京事務所は2018年の1月1日に15周年を迎え、弁護士と事務局を合わせて約40名の規模になりました。これまで思いもよらない困難に見舞われることも再三ありましたが、今では事業再生、クロスボーダーM&A、コーポレート、個人情報保護やデータ・プロテクション等、専門性が高く個のキャラクターも立っている同僚パートナーや優秀なアソシエイト・事務局が集まった、素晴らしい集団に育っていると感じています。

私自身も留学・海外研修後の2009年1月にパートナーに、2016年には東京事務所の代表社員に就任し、微力ながら東京事務所の成長の一翼を担うことができました。それもこれも、私や北浜法律事務所を信頼して案件をご依頼くださるクライアントの皆様のおかげと深く感謝しています。

私は、以前から弁護士という職業は、クライアントの正当な権利・利益を守る"用心棒"(たとえば、三船敏郎が演じていたようなアレです。)のようなものだと思っています。もちろん、雇われた相手に盲目的に従うという意味ではなく、法律家としての倫理観や客観性・独立性を保ちつつなのですが、常日頃は、クライアントの抱える法的問題や事業上の課題についてのご相談を受け、酒食やゴルフといった楽しい時間も存分に共有しながら、ひとたび法的紛争となればクライアントを最大限に守るべく、死力を尽くして戦います。

北浜法律事務所のブランド・アイデンティティは「クライアントとともに」というものですが、私も、クライアントから深く信頼され、クライアントとともに長く歩んで行くことのできる存在でありたいと思っています。そのために、個人としての研鑽・成長を怠らず、また、東京事務所の代表社員として、次代を見据えた提案をしていきたいと考えています。

クライアントとともに。